「コーチ」の本質

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今では多種多様な場面でコーチングが活用され、活用される「現場」に合わせてコーチングそのものも姿形を変えてきている。

コーチングはただでさえ、「コーチがどこで何を学んできたか」「コーチがそもそもどんな人柄か」に大きく左右されるコミュニケーション手法なのに、関連する心理学的知見やビジネスパーソンとしての経験を付加していくと、下手するとどんどん原型から離れていく。そしてふと思うのだ。コーチって何だっけ。理想のコーチとは何だろう?と。

そもそも素晴らしいコーチとはどんな人を指すのだろうか。

よりインパクトのある質問をする人?
人の思考をクリアにできる人?
目標を達成させることができる人?
共感力に優れた人?

なんだかどれも「コーチ」の一部ではあっても、本質ではない。そんな気がする。
優れた技術、知見、実績があるコーチが頼もしいのは間違いないけど、どうもしっくりこない。どれだけ「素晴らしいコーチ像」を描いても、どこかで納得できずにいた。

長い間そんなモヤモヤを抱えていたわけだが、つい先日、たまたま調べ物をしていたとき、ある記事を拾って読んだときに唐突に「これだ!」と100%腑に落ちたのだ。そこにはこう書いてあった。

『ネイティブコーチが部下とどのように接しているか、どんな会話を創り出しているか、それらを観察し、共通した特徴を集め、コード化したものが「コーチング」です』

この一文を読んだとき、それはもうかなりの衝撃だった。コーチングの成り立ちは知っていたけれど、改めて突きつけられると「これが本質だ」という思いしかない。

ちなみにネイティブコーチとは、その記事では「もともと人を育てることに長けている」「知識を教授するだけではなく、自発的に自分に合った方法でそれらを学び取り、使えるようにするのがうまい」人たちのことなのだそう。

つまりその記事いわく、コーチングの原点は、「ネイティブコーチの言動」であるということになる。

そう考えると、コーチの流派が多いことにも、スタンスが多様であることにも納得がいく。要はざっくり言ってしまえば、ネイティブコーチに対する解釈の違いが流派の違いにすぎない。

であれば、私たちコーチがめざすのは「ネイティブコーチ」そのものなのだ。

ただ、生まれ持っての資質だけでそこへ到達するのは難しいかもしれない。ならばそれは知識や経験で補うことができる。ただ、それはあくまで「補う」ことにとどまり、本質とは少し違う。

人は人と関わることで成長する。そのとき、どんな人と関わるかが、成長の質、早さ、方向性のすべてに影響する。コーチは、人の成長に関わる存在だ。

きっとコーチが本質的に追求すべきは、自身の「在り様」そのものなのだろう。

参考記事「損保労連コーチング講座」vol.1
http://www.fniu.or.jp/kikanshi/pdf/coaching-vol1.pdf

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