ジョハリの窓は完成しない

「ジョハリの窓」はご存知でしょうか。

自己分析において使用することが多い、有名な心理学モデルのひとつです。

ジョハリの窓には4つの枠組みがあり、それぞれ「開放の窓」「盲点の窓」「秘密の窓」「未知の窓」があります。

自覚もあるし他人も知っている、自他ともに認める公のキャラクターが「開放の窓」
自覚はないが他人は知っている、自己認知の外にあるキャラクターが「盲点の窓」
自覚はあるが他人は知らない、公にしていない内々に秘したキャラクターが「秘密の窓」
自覚もないし他人も知らない、まだ発現していないキャラクターが「未知の窓」

このように、自分という人間のキャラクターを四象限から余すことなく観察し知覚するためのモデル、それがジョハリの窓です。

私自身も、就職活動、転職活動など、人生の転機に応じて自己分析は定点観測的に行ってきました。そのときにこのジョハリの窓を活用したこともあります。

私は自分の主義、志向、感情をくまなく観察し、捉えたものを言語化して自覚するという一連の思考は得意なほうです。それにキャリアコンサルタントでもあるので、自分自身のことはある程度理解しています。自分の個性について語れないことはほとんどありません。

そう思っていました。

「maiさんって○○ですよね」と、久しぶりに盲点の窓を突かれるまでは。

盲点の窓は自覚がないからこそ盲点なのです。

ただそれでも、さすがに社会人としてそれなりに働き、人と関わってきた中で、まったく自覚のない盲点の「自分」を指摘されるとなかなか驚きます。

加えて、もうひとつ不思議に感じることがありました。

それは、数年前に指摘された盲点の「自分」と、今回指摘された盲点の「自分」が、まったく真逆のものだったことです。

自分の内側に真逆のキャラクターが同居することは誰しもにあることですが、自己認識と真逆のキャラクターが、他者から指摘されるほどに強く現れているとは夢にも思わず、さすがに面食らってしまいました。

その人から見た私が、たまたまそういうキャラクターのだろうか?試しに他の人にもヒアリングしてみる。すると「その人の言う通りだと思うよ」との返事。

色々と考えた結果、これはただの自分のキャラクターを誤って捉えていたというわけではなく、盲点だから知りようがなかったというわけでもなく、私というキャラクターが、数年の時を経て変化したのだと結論づけました。

改めてよく考えてみると、自己分析に精を出し、自分のことをわかった気にになってから、おそらく3〜5年は経っています。

ただそのあいだにも様々な出来事があり、それに伴って私自身も成長してきました。

身も蓋もない表現ですが、「昔は尖っていたが今は丸くなった」みたいな、それくらいの変化はしていても全くおかしくない。

時を経て自分のキャラクターに変化が生まれていたにもかかわらず、私のなかで描かれているジョハリの窓は、この数年ほとんどアップデートされていなかったのです。

自分のことをわかった気になる。そのままアップデートせずに時が経過する。
これは危険なことでもあると同時に、とても勿体無いことです。

なにしろ、自分のキャラクターを自分で活かすには、それを自覚している必要があるのだから。
そのキャラクターを自覚していないが故に機会損失する、消極的になる、ということがあったら非常にもったいないですよね。

自分自身を定点観測していくこと。
わかった気にならないこと。
ジョハリの窓をアップデートし続けること。

自分自身の成長に伴って、自分自身は変化しています。その変化を認知し、受け入れ、吟味したら、新しい選択肢が生まれるかもしれない。生きている限り、ジョハリの窓は完成しないのです。

たった数年、されど数年。人間、変わるものですね。

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