さあ、非日常に出逢いに行こう。

日常は、代わり映えのしない地道で退屈なルーティンのなかにあります。

そんな風に感じながら過ごしている現代社会人はきっと多いんじゃないでしょうか。

毎日は忙しいけれど、決してすべてが同じことの繰り返しというわけではありません。充実してるかどうかといえば、間違いなく充実していると言えるでしょう。

それでも歳をとるごとに体感の時間経過は早くなるし、毎日を必死に過ごしていたらあっというまに時間が経っていた……という言いようのない「むなしさ」を感じる方も少なくないと思います。

私はその感覚の大きな理由は非日常の少なさ、新しい出会いや体験の少なさにあると考えています。

子供の頃はすべてが新鮮でした。 けれど成長するにつれて、手の届くものが増えていきます。新しい出会いや未知の体験が少なくなっていきます。

ただでさえ自分を取り巻く世界の新鮮さは減る一方なのに、いまでは自室でコーヒーを飲みながらすべてを完結させることができるくらい、何もかもその気になればいくらでもシンプルに、コンパクトに、自分の世界を縮小できるようになってしまいました。

それは良いことでもある一方で、ひとつひとつの体験を味気のないものにしている側面もあるのかもしれません。

大人の私たちが新しさに触れて非日常を得るにはどうしたらいいのでしょうか。

行ったことのない国へ海外旅行をする?
食べたこともない豪華な食事をする?

もちろん、それを軽やかに実現していくのは理想のひとつでしょう。

でもそれにはコストがかかります。多くの人は出費がかかることや休暇を取れないことを理由に二の足を踏むでしょう。

ではもっと当たり前の日常のなかに、非日常を見出せないだろうか。その方法について考えてみました。

ひとつ。まずは余白をつくること。

おそらくこれが、最低限の、もっとも必要なことです。毎日朝から晩まで予定が詰まっていたら、非日常を取り入れる余裕なんて生まれるはずもありません。

次は、健康的に過ごすための生活習慣、生活環境を整えること。

余白はあるけど動けない、気力が湧かないという経験はきっと誰しもあるはず。せっかく作った余白を潰してしまうことがないように、日頃から自分自身と、自分を取り囲む環境を整えることが大切です。

次は、普段の情報へのアクセスの量を減らし、非日常の情報へアクセスを増やすこと。

摂取する情報量とアクセス先をコントロールすることは、意識の向け先を変えることでもあります。

少しでも気を抜くと情報過多になりがちであるところを、できるだけノイズを減らしつつ、「行ってみたい、やってみたい」と思える情報へのアクセスをしやすくする。つまりフォーカスする先を変えるのです。

最後に、世界の見方を捉え方を変えること。

たとえば見慣れた街も、「観光する」という視点で捉えて情報収集するだけで、歴史的な示唆に富んだ場所、グルメ、施設といった新しいモノに出会える可能性が高まります。

観光するという視点なら、かけるお金や時間も変わってくるので、同じ景色の中に在っても手を伸ばす場所に変化が生まれるのです。

私たちは日常のなかに生きています。日常の積み重ねが、地道な努力の継続が、自分を遠い場所へ運んでくれます。

けれど、もしもその結果として日々をつまらないと感じてしまうくらいなら。退屈な日常は一旦脇に置いて、時間の流れに抵抗して、非日常に出逢いに行きましょう。

飛行機に乗らなくても、多額の旅行資金を用意しなくても、それらは日常のすぐ隣にあります。新しい景色の中で、新しい自分が待っているのです。

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