停滞のなかの成長

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私は今まで、目標を持ち、その目標に向かって着実に進むことにこそ成長があると思っていた。

実際、出来なかったことが出来るようになり、定めた目標に到達し、望んでいたことを叶える過程に成長があることはきっと間違いない。

けれど、たとえばもしあなたが定めた目標から逸れ、行動量が失速し、とてもじゃないけど目標達成率を数値化したら30%にも満たないような、そんな状態だとしたら。

その状態を、「それでも有意義な日々であり、確かに私は成長した」と確信を持つことができるだろうか。

私はこれまで、仕事において具体的で、計測可能で、期限つきの目標を抱えて生きてきた。そしてそれはほとんど達成してきた。

それが実は私はこのおよそ一年間、はっきり言って自分の社会人史上めちゃくちゃに停滞していたのだ。

会社の仕事で挫折し、目の前の仕事への意欲を失い、その意欲の喪失は私の「ワクワクする未来に向けて弛まず努力する」という最高の状態からすっかり遠ざけた。

心理的に病んでいたわけではなかったので、エネルギーだけは有り余っていたが、その有り余るエネルギーを、仕事のために費やそうという気がすっかり失せていた。

そんな具合でスローに生きていた一年間。私は成長はしておらず、成果らしい成果もそんなにない。そう思っていた。

でもメンターコーチとのセッションで一年間を振り返るなか、どうやらそうでもなかったということに気が付いたのである。

興味が向くものへ気が済むまで没頭すること
趣味や遊びのなかで人と出会うこと
自分の生活を心地の良いものにするために挑戦すること

ゆっくりとした寄り道のなかにも、出会いは多くあったし、出来るようになったこともそこそこにあって、経験したことや発見もあった。

それらは今まで掲げていた「仕事の目標」とはほぼ全く関係のないものだったけど、私の中に大きな変化をもたらしていたのである。

それは仕事以外の人生のいくつかの要素についても、仕事と同じように、目標やビジョンを持ちたいという想いだった。
私はこれまで仕事以外の目標を持つことはほとんどなかったため、初めての感覚だった。

最後に決定的だったのは、メンターコーチに言われた言葉である。

「目標が立体的になったね」

私は、人生は道だと思っていた。前へ進むこと、早く遠くへ行くことが好きだった。

でももしかしたら、自分の今から未来へ続くものの捉え方は一直線ではなく、平面でもなく。もっと自由で、もっと多様なのものなのだ。めざしたいゴールはいくつあってもいい。同時に複数の道を進んだっていい。

そうした自由で柔軟な生き方は、「仕事の目標」という観点では遠回りかもしれないけど、「幸福な人生」という点では大正解かもしれず、「仕事の目標」においても、将来的には大きな花を咲かせることに繋がるかもしれない。

進む道そのものが価値を決めるとは限らず、進む道をどう捉えて解釈するかが、真にその価値を決める。

定めた目標に向かって前へ進むことだけが成長ではない。
私たちにとっての成長は、「仕事」に限らない。

立ち止まっても、成長はできる。
立ち止まっても、幸せになれる。

私は停滞していた。目の前の道を進むことをやめていた。
でも、立ち止まってぼんやりしていたら、これまで見落としていた多くの道を見つけた。気が向くままに寄り道をしていたら、立ち止まる前の自分とはまったく別の、「いい感じの自分」になっていた。

いまの自分の状態に最高の価値を見出せるかどうかは、自分次第だ。

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