直観と感性とフィードバック

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「良いフィードバック」とはなんだろう。

きっとその形は人それぞれで、絶対的な正解はきっと存在しない。
そして誰かにとっては良いフィードバックのスタンスでも、別の誰かにとってはイマイチだったりする。

相性、タイミング、信頼関係、価値観、技術……さまざまな要素が複雑に作用して、それらが噛み合ってはじめて「良いフィードバック」が生まれるのだろうな、と漠然と思ってはいるけど。何をもって良しとするのか、その形も、そこに至る道筋も、私はまだまだハッキリと見えてこない。

ただ、誰に対しても一定以上の質のフィードバックを提供する技術はあるわけで。ではどんなフィードバックが「良いフィードバック」なのかな、と最初の問いに戻る。

「良いフィードバック」とは何か?と考えるとき、もう10年近く前に私がコーチから受けたフィードバックを思い出す。

当時、私はいわゆる「Twitter依存症」だった(今もわりとそうだけど)。

通勤するときも、退勤するときも、外出で移動するときも、家にいるときも、朝起きたときも、夜寝るときも、ついTwitterを開き、開いてしまったら最後、数時間単位で飽きもせず開き続けていた。

当時、私のコーチをしてくれていた方とは将来のビジョンをテーマとしてセッションをしていた。

その話題の中ではたくさんのやったほうがいいこと、やらなくてはいけないことが挙がる。そしてセッション終わりには「じゃあ次回までに○○○をやってきましょう」と宿題を貰うのだが、恥ずかしいことにこの宿題をまったくこなせない。

こなせない理由をコーチと一緒に紐解いていくと、この長時間のTwitterが原因だとすぐわかったので、「Twitterの時間を短くする」ということで時間の捻出を図った。

なのに、また宿題ができない。決めたこと、約束したことができない。

こうなってしまうとコーチにも顔向けできないし、自己嫌悪ばかりが募る。そんなとき、うしろめたさを抱えてセッションに臨んでいた私にコーチが言った言葉。

「それ(Twitter)はいま、maiさんにとって必要なものなんじゃない?」

その言葉も、そのときの衝撃も、いまでも覚えてる。

なんとかしてあげたいとか、頑張ってほしいとか、より成長してほしいとか、習慣をただしてあげたいとか、そういった意図は(根底にはあったとしても)ほとんど感じられない、本当に何気なくて率直なフィードバックだった。

このフィードバックを真に受けた私が「そっか!Twitterは私にとって必要なものなんだ!それなら長時間SNS漬けになってもしょうがないな〜」と開き直ってしまうリスクもある。

もしかしたら、私の根はそこそこ真面目であるという性分を理解して信頼してくれたうえで言ってくれたのかもしれない。

ただ、私には「いま私が感じたこと・思ったことをあなたに伝えてみた」というスタンスだったように思うし、実際そうだったんじゃないかと今でも思ってる。

つまり、「そのコーチならではの直観と感性にしたがって」「いままさに伝えるべき」と感じたことをフィードバックしてくれたんじゃないかと思う。

現に当時、私は知り合いがひとりもいない慣れない土地で、ド営業の新社会人として毎日ストレスを抱えていた。

平日も職場を離れれば家ではひとりだったし、休日はそもそも、平日の疲れでベッドから起き上がれない。

Twitterはそんな私のストレス発散の場であり、憩いの場だったのだ。

そうとわかれば、アプローチ先は「Twitter依存の解消」というより「ファウンデーションを整える」「ストレスに対処する」というテーマに変わってくる。

わたしはあのときのコーチからのフィードバックで、自分の悪習に対する見方が180度変わった。

もしあのとき、感じたことを率直にその場で伝えてくれなかったら、きっとTwitter依存という同じテーマの中を堂々巡りしていただろう。

あの経験を思い返すたび、きっとコーチは自分の直観や感性をもっと磨いたほうが良いのだろうと思うし、その感覚を信頼して良いのではないかと思ってる。

意図的な言葉や、目的のある質問も大切だけど、きっとそれ以上に「そのコーチならでは」をわかりやすく問われるのは、直観と感性と、それに基づくフィードバックなんじゃないだろうか。

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