「自分の成長よりも人の成長を追求したい」わたしのコーチングの原点

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こんにちは、maiです。

以前メンターコーチとのセッションを通して、「どんなコーチングをするか以上に、なぜコーチングをするのかが大切だ」という気づきを得たことがあった。きっとコーチという対人支援の仕事を選んでいる以上、コーチにはそれぞれさまざまな動機や原点があると思う。

わたし自身も「そういえば自分のコーチングの原点は何だったかな?」と考えるきっかけがあったので、それについて思い出したことをこの場で伝えたいと思う。

はじめて「コーチ」になったのは、大学時代

わたしが初めてコーチを名乗ったのは大学1年生のとき。

とは言っても、今のように対話による支援という意味合いのコーチではなく、運動部の指導役としてのコーチだ。

わたしは小学1年生から高校3年生までの12年間、ずっとバレーボール部だった。

部としての成績はほどほどのところで、せいぜい都内16位程度が最高成績だった。けれど監督はいわゆる「スポ根」の指導スタイルで、ほぼ毎週のように休日返上で練習に明け暮れていた。

今ではもう面影がないと言われるけど、当時はキャプテンや部長を任される機会が多かったこともあり、毎日のように精神的に追い詰められていた。

ただ校内を歩いているだけなのに「maiさん、殺気出てるよ」「周りを威圧してない?」と教師や友人に指摘されるくらい(とても心外である)、妙に深刻さを抱えて過ごしていた。

ただ12年もその調子だとさすがに疲れたし、だんだんとわたしの中には「プレーヤーとして勝ちたい」という想いとは別の感情が生まれていた。それは「これまで蓄積した12年間の自分の知識と経験を誰かに授けたい」という想いだった。

そんなところに渡りに船で、出身高校の後輩から「コーチに来て欲しい」と頼まれ、部活動のコーチとしてチームの指導や育成に携わることになった。

ヒトの成長に伴走すること、成果を見届けることの喜び

いざコーチとして就任したものの、自分がプレーすることと相手に教えることはまったくの別物で、悩みは尽きず苦難の連続だった。

ただそれでもひとつ、大きな発見があった。わたしは12年間バレーボールに携わってきたけれど、コーチというポジションに立つことで初めて「バレーボールが楽しい」と思ったのだ。

それまで楽しくなかったのか?というと、正直楽しくはなかった。瞬間的な楽しさはあったものの、圧倒的につらいことのほうが多かったからだ。

その感情が、コーチになることで大きく変化した。

メンバーの成長を見守ることが(自分の成長を測ることよりも)嬉しい
チームが勝つことが(自分がプレーヤーとして勝つよりも)嬉しい
楽しそうな表情を見ることが(自分が楽しくプレーするよりも)嬉しい

そのとき気がついた。わたしは自分が成功するよりも、誰かの成長を支援し、成功や充実、喜びへ導くことのほうが遥かに嬉しいのだと。

それでも当時は常に全身全霊で向き合っていたつもりだけど、振り返れば振り返るほど「未熟だった」のひとことに尽きる。何しろ部員にはよく笑いながら鬼コーチと呼ばれていた。たぶん怖かったのだと思う。いまはすっかり丸くなったけど。

ただ、当時のわたしはチームが勝つこと以上に「部活動の経験を通して部員に充実した人生を歩んでほしい」という想いでコーチとして向き合っていた。

過去へ想いを馳せて、原点を再体験する

あのときの想いと経験が、時を経て、対話支援の「コーチ」という仕事へ導いてくれたのだ。……と、今なら確信を持って言えるのだけど、実はしばらくのあいだ、この自分の原点をすっかり忘れていた。

就活のときの自己分析ノートにはこのエピソードはほぼ一冊分に渡るまで詳細に書き出していたし、面接でも定番のアピールポイントとして語っていたんだけど。

よく「ビジョンは掲げ続けなければ忘れてしまって形骸化する」と言われるけれど、さまざまな出来事を経て周囲も自分も大きく変わっていくなかで、自分の原点をいつのまにか忘れてしまうものなのかもしれない。

過去に縛られていたら前へ進む足は重くなるし、かと言って未来ばかり見ていると自分の大切な経験が風化する。

コーチングは未来へ焦点をあてる機会のほうが圧倒的に多いけれど、たまにはこうして自分の過去へ想いを馳せて、当時の出来事や感情を再体験することが大切なのだろう。

生き急いで見失うものが増えるよりも、過去、現在、未来を噛み締めながら過ごして生きたいものだ。

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