ずっと「好き」を殺してきた話。

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「好き」を殺さないということは、「自分」を生かすということとイコールである。と、思う。

たとえば、好きな食べ物、好きな音楽、好きなアイドル、好きな作品、好きな服、好きな色、好きなスタイル、好きな場所、好きな人、好きな景色……… それなりの年数を生きていれば、きっとたくさん出逢ったであろう「好き」という想い。

それらを殺さず、飽きるまでとことん好きでいられた人は、いったいどれくらいいるだろう。

今回は、少し個人的な話になる。

私が生まれてはじめに好きになったのは、伝え聞く限りどうやら「毛布」だった。記憶がないくらい小さい頃、愛用の毛布を手放そうとせず、毎日握りしめて寝ていたらしい。
その次はきっとパンダのぬいぐるみ。その次はこまごまとした小さな人形。
とにかく気に入ったものを常に握りしめていないと、落ち着かない子供だった。

幼稚園児くらいの頃にもなると、私は可愛いものが好きだった。髪の毛は天然縦ロール、ピンクのリボンにレースのブラウス、チェックのスカート。定番はお嬢様スタイル。
私はそういった可愛いものが心底好きで、母は毎日着飾ってくれていた。

小学校の頃も、その「お嬢様スタイル」はまだ続いていた。
けれど私は救いようのないくらい泣き虫で、両親にはよく心配されていたし、なんとなくで入ったスポーツチームでは、泣き虫な上に運動音痴なのが祟って、一向に上達しなかった。

転機は、高学年。
なぜかチームキャプテンに抜擢され、責任が生まれ。そして他チームと自チームにライバルが生まれ、そこで私は闘争心を焚きつけらた。

それは残念ながら自分で望んで燃えたわけではなく、「焚きつけられた」という文字の通り「他人に火をつけられた」のである。

「そんな泣き虫でどうする」「そんなことでは勝てない」「キャプテンならしっかりしろ」と毎日のように叱責され、私は段々と指導に適応する形で成長した。

負けず嫌いという生来のプライドの高さ(ただし実力が伴わない)はあったものの、本来争うこと自体は好きではなかった。それがこのタイミングで「泣き虫」は否が応でも矯正され、「可愛さ」よりも「格好良さ」を正とし、「弱い」よりも「強い」ことを誇りとした。ライバルが皆髪型をショートカットにしたので、私もショートカットにした。

幼少期のころ、あれほど好きだった「可愛いもの」は恐ろしく似合わなくなり、「女の子らしいもの」は忌避するようになった。
当時、母が通販で買ってくれたピンク色のパーカーは、結局一度も袖を通していない。

私は「好き」かどうかで物を選ばなくなり、そして恐らくみずから、「可愛いものが似合わない自分になる努力」をして、それを「自分らしさ」として育てていったように思う。

当時の自分の写真を見るとどう見ても「男の子」なので、当時の適応力にはいっそ関心する。客観的に見ても、少し前までお嬢様スタイルだった子供とは思えない変貌ぶりだった。

それから「男の子みたい」と言われる期間は中学くらいまでしばらく続いたわけだけど(おかげで他校の女の子からファンレターのようなものを貰うという貴重な経験ができた)、たぶん私は「泣きたいときに所構わず泣く」という非社会性を克服して、そのかわりに「可愛いものが好き」という自分の気持ちを殺して成長してしまったらしかった。

きっと社会性と可愛いもの好きを両立する道もあったのだろうけど、今となってはあまりに昔の話である。

再びの転機は、大学時代。 私も髪が伸び、それなりに女性らしさを取り戻して、友人と買い物に出かけていたときのことだった。

「これは可愛いけど私らしくないな」と売り場のスカートを眺めていたら「それ、maiに似合いそうだね」と言ってくれたと友人の一言で、私はようやく、もしかすると、自分も可愛いものを選んでもいいのだ、と。驚いて、呆然として、でもやっぱり可愛いしな、と、ぼんやりとそのスカートを手に取って、そのままレジに行った。

あまりにも些細なひとこと。友人にとっては、もしかすると社交辞令も同然のひとこと。でも私は確かに、そのひとことに救われた。おかげで今となっては、可愛いものをお店で見つけたときには「可愛い」「ほしい」と素直に言えるようになったのだから。

これまで、きっと他にも捨てたもの、あきらめたものが、たくさんあるのだろうと思う。

思い込みの自己評価で取捨選択してしまった選択。
他者からの評価で固定化してしまった自分の在り方。
人と比べて劣っているからと捨てたもの。
無理だと言われてなかったことにした夢。
認められないからと殺した「好き」という想い。

もし、そういったものの積み重ねで「今」があるとしたら、思いもよらず強い未練を残しているのかもしれない。

私は子供の頃、好きなものがたくさんあった。そのほとんどが、いっときは否定したものも含めて、本当は今も大好きだ。
そして生きていく中で好きなことはたくさん増えた。まるで宝石を集めるみたいに。

「好き」を愛すること。それは「自分」を愛するということ。
だから毎日に疲れて自分を好きになれないのなら、少し立ち止まってみてほしい。

あなたは子供のころ、何が好きでしたか?
今は、何が好きですか?

本当は、何が好きですか?

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