平成最期の夏、「あの戦争」とわたし

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私たちは地獄を知らない。
 
日々の悩みごとといえば、うまくいかない仕事、つれないパートナー、銀行口座の残高、悲観的な未来に関するエトセトラ。
 
多くの人々は日々の食事に困ることもなく、あした自分の命があるかどうかを心配することもなく、大切な人の生死を案じて祈る日々を送っているわけではない。
 
きっと幸せなんだろう。
少なくとも「あの戦争」の時代を生きて、生きたかったのに死んだ人と比べれば。
 
それでも私なりに日々の苦しさはある。生きにくさもある。
 
だからこそ今、あえて「あの戦争」に関する、私自身の思い出を振り返りたいと思う。
 
明日の終戦記念日に寄せて。
間違いなく、日々を大切に生きていけるように。
 
 

何も知らなかった「あの戦争」の姿

 
興味を持ったのは、些細なきっかけだった。
 
高校時代の夏。
「良い点がとれますように」と、テストに自信がなかった私は、神頼みに近所の神社に参拝した。
 
お正月でもないのに参拝したのは、おそらくそれが初めてだったと思う。
 
その時になんとなく境内の荘厳な空気感が気に入り、他の神社にも行ってみることにした。
多く参拝した神社のひとつが、靖国神社だった。
 
靖国神社は……正確に言えば敷地内にある展示館、遊就館における展示内容に、当時の私は大きなショックを受けた。
 
日露戦争の勝利への賞賛。
欧米に不当に追い詰められ、止むを得ず戦争に踏み切ったのだという被害者意識。
 
それらは学校で教えられたことのない知識だった。
今でこそ冷静に展示内容を見つめることができるが、当時は「日本は悪かった」「日本は間違えた」という漠然とした意識を根底から覆されるような感覚だったことを、よく覚えてる。
 
ただ、同時に違和感もあった。
日本は間違っていなかったという。
あれは仕方のない戦争だったという。
国のために死んでいった彼らは勇敢そのものだったという。
 
でもそれは、本当にそうなのか?
学校で教わったことと、その展示内容はあまりにも違いすぎる。
 
なにが正しいのか、まったくわからなくなってしまった。
 
 
 
***
 
 
 
「なにが正しいのか。なにを信じればいいのか」
 
その命題は、大学時代に持ち越した。
 
そして、そもそも善悪と正誤を判断するだけの知識が自分に備わっていないことに気がつく。
 
昔からインターネットが好きだった私は、とりあえず検索した。
その結果、出てきたのは過激な意見や考え方。
 
インターネットの特性上、どうしても「興味がある情報」を引き当ててしまうわけで。
遊就館での衝撃が尾を引いていた私は、見たことがない、目新しい「右寄り」の知識ばかりを無意識に集めていった。
 
そして「皆が知らないことを知っている」自分に酔い、歴史に関する知識が無い人々を見下して、内心で良い気になることもあった。
 
あの頃の自分は、間違いなく「ネトウヨ」だった。
思い返せば恥ずかしい限りだが、僅かに持つ知識と真逆のことを貪るように詰め込んだのだから、当然の帰結だったのかもしれない。
 
 
 

客観的な事実を求めて

 
ネトウヨを拗らせながらも、違和感はずっと残り続けていた。
 
思えばその違和感はを取り除きたくて、「どちらにも偏らない客観的な事実」を知りたくて、インターネットでの検索をやめ、本を読むようになった。
 
本はインターネットよりも偏りが「マシ」だったものの(それこそインターネットでは今でも過激な言葉と他者への否定や誹謗中傷が溢れている)、著者の信念、主義主張が徹底されているものがほとんどだった。
 
何を読んでも、どちらかに偏る。
 
何しろ著者の主義主張がそもそもどちらかに傾いているのだ。
事実よりも主張が優先され、主張を通すために、時には事実さえ歪められている。
 
本を読んですら満足な「客観的な事実」を得ることができないことが、とてもつらく、もどかしかった。
 
 
 
***
 
 
 
色々な本を漁る中で出逢ったのが、半藤一利氏の著書だった。
 
今でも折に触れて史実絡みの本は手に取るが、近現代史に関して、彼以上の客観性を保っている書き手は見たことがない。
 
もちろん、完璧な客観ではないだろう。
彼の言葉でもたまに、「それはちょっとどうなんだろう」と疑問を抱くことは、もちろんある。
 
一個人のフィルターを通して生み出された言葉に、真に透明な情報は存在しない。
 
それでも、半藤一利氏の見事なところは「絶対とは言い切らない」というポリシーを持ち、客観的であろうとする努力を放棄しないところだ。
 
私の彼の本をいくらか読んだ。
有名なものでいえば『昭和史』は一時期ブームになったが、『いま、戦争と平和を語る』や『日本のいちばん長い夏(映画化もしてる)』等も、主義主張ばかりに徹しない、公平であろうとする目線を感じることができる。
 
お陰で、著作を通して、あの時代に何が起こっていたのか「客観的事実」に近い知識を少しずつ取り込むことができた。
 
 
 

事実を知るだけでは意味がない

 
半藤一利氏の著作を読んで、正直私はかなり満足した。
 
なるほど、あの時代にはああいうことが起こり、その結果このようになった。
 
それまで様々な主義主張の情報に触れてきたこともあり、限りなく透明な「事実」に近い情報は、気持ちよく、すんなりと頭に入ってきた。
 
そう、満足はした。
今となってはどんな見解に遭遇しても、一々揺らぐことはない。
正しさが行方不明になって右往左往することもない。
 
躍起にならず、受け入れて、もしくは受け流すことができるようになった。
 
それなりに努力して、調べ、学び、理解してきた。
なのに。
 
「それで?」
 
黒く重いわだかまりが、最後に胸の奥に残った。
 
 
 
知ったから何なのか。理解できたから何なのか。
 
それは「わたし」が「あの戦争」に向き合ったことにはならない。
 
時代の当事者ではない私がちょっと知識を得たところで、それはただの傍観者であり評価者でしかない。
 
本を読みながら、時代の痛み、悲しみ、苦しみを感じてきたはずなのに、それでも他人事の域を出ていないということに気が付いた。
 
 
 

広島で見つけた「答え」

 
本で知識を得るには限界があると感じ、色々と見てまわることにした。
 
見て回ると言っても、ただの一人旅である。
 
もちろん一回きりではない。グルメや観光も兼ねている。
大学の講義が休みの日に、少しずつ日本各地の史跡、寺社、慰霊碑、戦争に関する記念館などを見て回った。
 
目的は、一次情報に触れること。
 
これまでは、誰かが見たものに触れてきた。
これ以上は、自分の目で見る以外にないと思った。
 
足りないものが何なのか。
近現代史とは関係がない場所にも積極的に行った。
 
横須賀に残る戦艦三笠。
時代の隆盛の名残を色濃く残した奥州藤原氏の関連史跡。
神道の中心地である三重の伊勢神宮。
凄惨な戦争の爪痕が残る、沖縄の防空壕跡地やひめゆりの塔など。
 
様々な場所へ赴きながら、
「知識を得たはいいが、自分という人格が、その知識にどう向き合うべきなのか」をぼんやりと求める時間が長く続いた。
 
 
 
大学生活の後半、広島の平和記念公園に行ったときのことである。
 
公園内の慰霊碑を見て、すべてが腑に落ちた。
 
 
 
(画像参照:MATCHA
 
中央の碑文にはこう書かれている。
 
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
 
 
ちなみに、この碑文には賛否両論があり、事あるごとにその解釈をめぐって物議を醸している。
 
この碑文は主観だ。「過ちか否か」は少なくとも、客観的な事実では無い。
あれほどに嫌い、避けてきた主観的な意見だ。
事実そのものに正誤はなく、正誤を決めるのは文化であり倫理である。
それなのに「過ち」などと、あまりにも一方的だ。
 
それでも。
 
唐突に、「ああ、最後に行き着くのはこれなんだな」と思った。
 
 
事実を知らなければメッセージは思いもつかない。
けれど、事実そのものがメッセージであるわけではない。
 
過去のメッセージを今より先へ伝えていくのは、人の主観であり、解釈であり、想いなんだと。
 
私はこれまで、出来る限り、主観や主義主張が排除された、客観性の高い情報を得る努力をしてきた。
一次情報に触れたくて、透明度の高い知識を得たくて、あちこちを旅してまわった。
 
結果として、知識は多少ついたと思う。
最初こそ偏っていた私の価値観は、それなりの均衡を保てるようになった。
 
 
だからこそ、ここから先は「私」が情報を解釈し、価値観の基盤とし、血肉にしなければ意味がない。
 
 
「過ちは繰り返しませぬから」
 
この碑文には、強い意志があった。
自国の感情も、他国の事情も、すべて踏まえて、超越して、「あんな酷いことは間違いでないはずがない」という、当事者による強烈なメッセージだ。
 
 
***
 
 
色々と見聞して、最後に戻ってきたのは靖国神社の遊就館だった。
 
遊就館の最後の方の展示には、両親や伴侶に宛てられた手紙、そして両親や伴侶から、兵士に宛てられた手紙が展示されている。
 
見ていると気が付くが、当時の人々は字が恐ろしく上手い。
 
少なくとも識字能力があった彼らは、パソコンでタイピングすることはできなくとも、文字を書くことに関して、芸術レベルの力量を持っていたらしい。
 
そんな端麗な字で、「立派に死んできます」といったことが書かれている。
それを泣きながら書いたのか、勇んで書いたのかは、わかりようがない。
検閲を通すがために、そもそもの内容が歪められているのかもしれない。
 
でもその言葉の裏には、きっと強烈な感情があったのだろう。
親愛、郷愁、後悔、恐怖、悲哀。
 
それらは客観的事実とは言えない。
けれど、確かにそこに存在した感情だ。
そのすべてが、ひとりひとりの、「あの戦争」を示す歴史的真実だ。
 
決して事実を語るものではない。
けれど広島の平和記念公園の碑文と同じように、
手紙には強いメッセージがこめられていた。
 
 
 
***
 
 
 
事実は客観であり、真実は主観である。
 
これが「あの戦争」と向き合う上で、私なりに培った歴史に対するものの見方だ。
 
 
歴史には把握しきれないほどの事実がある。
そして把握しきれないほどの事実の影には、たくさんの人々の感情が、真実が存在している。
 
そのすべてを汲むことは、とても難しい。
 
けれど、手の届く範囲で歴史の事実に触れ、歴史に関わるメッセージに触れることで。
きっと、「当事者ではない自分」なりの真実を心に宿すことができる。
 
 
それは人に伝えればメッセージとなるだろうし、伝えなくとも、生きる道を示す灯火になるだろう。
 
自分の人生には、礎となった人々がいるということ。
その過去を悼み、しかし悼むだけでは終わらないように。
 
亡き人々の願いの上に築かれてきた時代を、踏みにじってしまうことがないように。
そしていつか自分も、未来を生きる誰かの良き礎となれるように。
 
 
日々を精一杯生き、「おかげさまで幸せです」と笑えるように。
 
 
 

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