明日、それが失われるとして

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生きている以上、別れは避けられない。

それは突然の出来事でもあり、あるいは忍び寄ってくるものでもある。

死であったり、卒業であったり、異動であったり、別れの形はさまざまだ。

いずれにせよ、ほとんどが望むタイミングでは訪れない。

寒い雪の日、祖父は突然帰らぬ人となった。

弟は、私の知らないところでひっそりと息絶えた。

大好きな先輩は、当たり前に私を置いて卒業した。

一番に慕っていた先輩も、会社命令で呆気なく異動していった。

 

私は別れが苦手だ。

 

たまにしか会えない人ほど、別れると知っている相手ほど、楽しい時間の後に「またね」と手を振りながら、もう二度と会えなくなるかもしれないという恐怖に、いつも涙が出そうになる。

 

それでも、自分が生きている限り別れは避けられない。
「諸行無常」とはよく言ったもので、万物はすべて変わり続ける。終わるものもあれば、始まるものもある。

つまり、今目に映る光景は、人々は、いずれすべて終わる。何ひとつ、変わらずにとどまることはできない。

 

私は幼い頃から、過剰なほどに「別れ」への恐怖を抱き続けてきた。

しかし多くの別れを経たものの、悲しみのあまり死に至るわけでもなく、今もわたしは比較的元気に生きている。

別れはこの先も、歳を追うごとに積み重なる一方だろう。
だが人間、恐ろしいことに別れの悲しみも苦しみも、いずれは忘れていくものである。すべては時間が解決してくれる。恐れ嘆くことはない。

 

ただ、それでもひとつ、私は消えない後悔がある。
たとえば、亡くした祖母のこと。

 

私は幼少期の多くを、祖母の家で過ごしてきた。
祖母は本当に私のことを可愛がり、甘やかすように多くを買い与え、私の顔を見るだけでとても嬉しそうに笑った。

両親以外で私をここまで愛してくれる人がいただろうか。物心つく頃にそう実感するようになったが、やがて学生生活に追われるようになり、祖母とは年に一度の正月に会うだけになった。そしてその祖母はやがて病に罹り、そして帰らぬ人となった。

 

「もっと孝行すればよかった」
「もっと思い出を作れば良かった」
「もっと一緒に過ごす時間を大切にすれば良かった」
「もっと感謝を伝えれば……」
「もっと恩返しをすれば……」

 

別れににつきものである「後悔」だ。
私は亡くした祖母に、この後悔を抱いている。
今も、人混みに祖母に似た背を見て、目頭が熱くなる。他界してから、もう何年経つかわからないというのに。

 

たとえば、考えてみてほしい。

 

明日、あなたの最愛の人が失われるとして。
あなたは今日、何をするだろうか。

とりあえず会いに行く?
一緒にどこかへ逃避行する?
ただ黙って隣にいる?

きっとあなたは、何もせずにはいられないだろう。

 

では少し質問を変える。

たとえば明日、あなたの最愛の人が失われるとして。恩師と呼ぶべき人までも失われるとして。無二の友人と呼ぶべき人とさえ、二度と会えなくなるとして。

あなたは今日、何をするだろうか。
今日だけで何かできるのだろうか。

きっと、すでに手遅れだ。

別れへの覚悟を持ち続け、「失っては耐えられない」人を大切にし続けるということは、生半可な気持ちでできることではない。

だから生半可な私たちはいつも、我が身可愛さに大切なものから目を離した隙に、「別れ」に不意を突かれ、慟哭し後悔するのだ。

失って初めて「大切さ」に気が付いたのでは遅すぎる。
私たちは今からでも、「大切なもの」が何なのかを明確にする必要がある。

 

ではどうすればいいのか。

たとえばノートとか、手帳とか、メモアプリとか、もうそこはなんでもいいので、とにかく書き出すのだ。「自分にとって、大切な人は誰なのか。失いたくないものは何なのか」を。

 

「両親」
「祖父母」
「恩師」
「友人」
「恋人」
「先輩」
「後輩」
「我が子」

「同僚と笑い合う風景」
「友人と甘いお菓子を食べる瞬間」
「家族で食卓を囲む暖かな空気」
「愛する人の温もりと穏やかな声」

 

そして振り返る。
その大切な何かを、この1週間、1ヶ月間、1年間、どれほど大切にできたのだろうか、と。

 

孝行はできたか?きっと全然足りない。
思い出を十分作れたか?一番新しい思い出は遥か昔だ。
一緒に過ごす時間を大切にできたか?つまらないことで食い違って疎遠になったままだ。
感謝を伝えたか?恥ずかしくてとても言えていない。
恩返しをできたか?何ひとつ満足に返せていない。

 

そこでやっと気が付く。大切なはずなのに、亡くしたら悲しくて堪らないのに、全然大切にできていない事実に。

 

あなたはどうだろう?振り返ってみて、大切な何かを大切にできていただろうか。
ちなみに私は全然ダメだった。

 

でも「大切なもの」を「大切にできていなかった」ことに気が付けたならば、それはきっと大きな意味がある。

 

だってその気になれば、今からでも行動することができるのだから。

両親には、手製の料理を振る舞おう。奮発して旅行をプレゼントしたっていい。

同僚のちょっとカチンとくる言葉だって笑って流してしまおう。

真逆の性格の兄弟の悩みも、イライラしないでちゃんと聞いてあげよう。

恩師には久しぶりに手紙を書いて、飲みに誘ってみようかな。

大好きだった部活の先輩を、ランチに誘って近況を聞いてみたりして。

友人の誕生日を、忘れないよう手帳に書き込んで、いつも以上にお祝いして。「仕事だから行けない」なんてドタキャンはもう絶対にしない。

恋人は…残念ながら私はいないけど……もし出来たなら、その人のことは私が絶対に幸せにするんだ。

 

そうやってひとつひとつ、「大切な人へ愛情を注ぐ予定」をカレンダーに書き込む。眺めてみれば、それは幸福に満ちた日々だ。

大切なものを自覚し、大切なものへの愛情で埋める日々。

別れへの恐怖と後悔が、少しずつ薄れていくのが分かる。

 

別れは避けられない。けれど今からでも、大切なものへ愛情を向け、感謝を伝え、労わり、笑い合うことはできる。

 

そしてたとえいつか避けられない別れに至り、散々泣く羽目になったとしても。最後に「ありがとう」と笑えたなら、きっとまた前へ進むことができるのだ。

いつかまた、その門出の先で道が交わることを楽しみにして。

 

 

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